あめはれ

人生の中で出会うなにか

驚きの愛情に迷いは消える「それぞれの旅立ちへ」

引っ越しをすることになった理由

 

「不思議な家」と呼んでいる家は、私が最初の夫と建てた家で、15年前に離婚し、しばらくは私と子供たちで暮らしていたのだが、事情があり夫へ返した家のことである。

5年前に離婚した夫が亡くなった。

 

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一緒にいたいね


 

家を相続したのは、次男である。

しかし、家の土地は夫が経営していた会社名義のままになっていた。

次男はアイデンティティが確立できない、そんな悩みを長く抱えていた。

なので、土地の名義がどうであれ、次男にとって安心できる居場所になればと願い、次男に家の相続を勧めた。

そんな経緯から、5年近くが経った。

突然の話しがあったのが、今年の3月11日の夜。

 

「土地は、ローンを組み会社から買い取って、自分名義にした。今の仕事では、独立してバイトでも食べていける。しかし、自分はもっと高度な仕事ができるようになりたいが、地元ではやりたい高度な仕事がないから県外へ転職しすることに決めた」

「土地のローン返済があり、それを支払って県外で暮らすには厳しい。そこで、お母さんに住んでもらい、ローン分を家賃として支払ってほしい」

と、話しがあった。

 

私は中学に上がる息子と2人で暮らしていた。

14日は小学校の卒業式。

卒業式には、中学の制服で統一するように決まっていた為、中学の制服を始め入学に必要な物は揃っている状態であった。

引っ越すなら、買い直しが必要になる。

 

考えてる時間がなかった。

次男の家に引っ越しをするなら、転校になってしまう。

しかもその時暮らしていた場所は、しばらくは住むつもりで引っ越しをして半年しか経っていない。

 

考える猶予がない中で強く思ったことは

「中学生になる息子も次男もどちらも私の大切な子供なんだ」

 

 

家は人が住まなくなるとあっと言う間に廃墟のようになってしまう。

私が管理に通うにも長期的には無理がある。

次男が抱えたローン・・・

その時は、どう考え、どう判断し、決断するかなど、到底できない状況に陥っていた。

中学入学までに時間がないことが考える余裕を失わせてもいた。

 

中学へ入学する息子は支援級をつかわなくてならない。

2年間の不登校から、6年生になって自分ペースでの登校が始まったばかりであったからである。

 

決断できない状況で、どちらを選択してもいいように、転校先になる中学校へは事情を話し、学校間の連絡を入れずに直談判で見学と説明を受けに行ってきた。

11日に話しがあり、14日に卒業式。

その1日前の13日に偶然にも転校先となる中学校での最後の授業があることを知り、学校側へ見学のお願いをしたのである。

 

中学校の入学式は4月4日だった。

転校するなら、まずは暮らす家に慣れる時間も必要である。

決めることができない心理状態で、決断した理由は

 

人生はいつでも先のことなどわからないものである。

それでも、何かあればあれば、その都度その都度、考えて進むもの。

ますは自分の選択として引っ越しを決める。そして、その先で何かあれば、その都度その都度、考える。

 

決断理由が、人の生き方の基本のような理由になってしまった。

 

そうして、私たちは次男の家と引っ越し、次男は県外へと夢に向かって旅立って行ったのである。

 

 

引っ越しをしてからの苦しみと愛情

 

次男が出て行く前日に

「お母さんは、どうして引っ越しを決めたのか今だにわからない。これからゆっくりと考えていきたいと思う」と伝えると

「お母さんの心にこの家を求めるものがあるのだと思う」

そう返ってきた。

 

否定はできなかった。

懐かしい家。私がこだわって建てた家。

幸せだった時間。

心のどこかで、帰りたがっているような感情が混じる。

 

否定はできないが、それだけではない思いも強い。

ここは次男の家で、次男のために守ってあげたい。

次男は、会社から買い取る時に相場より安く買っている。

この時点で、売却してもプラスになる。

次男はいずれは、売ることも考えていると言っていたので、家に執着しないのであれば、土地的には人気のある立地だけに私でも売ることを考えると思う。

次男の好きなようにすればいいと思っていた。

しかし、売ることが前提の家で、長くは住めない家に中学生の息子を住まわせることに心が痛んだ。

そして、私も同様に長く住むことなく出ていなくてならない懐かしい家に複雑な思いになり辛かった。

 

そして、住んでみて知ったことがある。

 

人の思いが残る家の重さである。

夫の子供への思いと家への思いは、家を通して伝わってくる。

次男には良かれと思い、相続させたがこんなにも辛いものだったのだと初めて知ることになった。

次男は、相続した家の一部屋だけを使って暮らしていた。

後は、父親と父親が残した母親である私と家族の思い出をそのままの状態で残し、6畳一間にまるで家族から見放された子供が一人部屋にこもるような生活ぶりであった。

 

次男が同じように感じていたであろう残された人の思いの重さ。

 

次男は、県外へ引っ越す前に全てを処分してくれた。

辛かったと思う。

多少の手伝いはしたものの、黙々と遺品整理する次男に心が痛んだ。

 

そんないろんな複雑な思いの中で、

いつ出なければならない状況が来るのかを考えると落ち着かない。

もし、次男が挫折して帰ってくるとなったなら、私一人だったとしたら、着替えも持たず、バックだけを持ち、すぐにでも家から出て行くだろうと思った。

次男のためなら、私一人であれば何もなくてもやっていける自信はある。

しかし、中学生の息子のことを考えるとそんなことはできない。

むしろ、安定して暮らせる場所が必要。

複雑な思いに苦しみだし、引っ越しをしてきたばかりであったが、家を出ようと考えた。

ごちゃごちゃと悩む割に行動力があって、次の物件をすぐに見て回って候補を決めていたほどである。

 

そして、次男に家を出ようと考えていることを伝えた。

 

 

驚きの愛情

 

次男から「その家での生活に何か不満はあるの?」と優しく聞かれる。

この優しく聞かれることだけだけでも驚いたのだが、

驚いたのその後に続く内容だった。

 

「お母さんがどう思うかはどうでもいい。弟(中学生)のことを考えてあげてくれ」

「自分の子供の頃を考えると、弟にはそこで安心して暮らさせてやりたい」

 

「土地は、最初から資産を増やす目的で買ったわけではなく、〇〇家のホームベースとして残したくて買ったもの。ただ自分が上手くいかなった時には、土地のローンが支払えずに手放さなくてならなくなるかもしれない。

できるだけ、実家として残したいんだ」

 

驚きすぎた。

「確かにそれらしい会話はでたよ、でもそんな思いでいたなんて知らなかった」

と伝えると

 

「伝わっていると思っていた」と言う。

 

「お母さん、超能力があって言わないことまで理解できる能力はない。

人は伝えなければ伝わないのが基本だ」と怒れた。

 

「こんな性格だから、言えるはずがない」と言うから

「言わなければ、伝わらない」と答えながら、涙が溢れた。

 

 

小さい頃から自立しているようで、表現ができない次男。

もう私の複雑な思いはどうでも良くなった。

誰も、3年後、5年後なんてどうなっているなんてわからない。

約束された人生なんて存在しない。

次男、私、中学生の子、それぞれの今を一生懸命に進もう、ただただそう思った。

 

そんな出来事から、10日程経ち、次男が急な用事あって家に来た。

 

「おかえり」

 

と、声をかける。

 

いつもなら、このシーンでは「あぁ、」とか、そんな感じでしか返事が帰ってこない。

 

「おかえり」

そう言われて、少し困ったような表情の後に

 

 

「ただいま」

 

と、笑顔を向けてくれた。

 

 

私は、複雑な家庭環境で育ち、苦労の多い人生に子供を巻き込んでしまった人生で、家族の見本がない。

私は、みんなのお母さんなのかもしれない。

そして、子供達同士は、兄弟なのかもしれない。

当たり前のことのはずなのに、当たり前に思えない。

きっと家族なのかもしれない。

そんな当たり前さえわからない感覚を深く考えても仕方ない。

私の子供への愛情は、何があっても変わることがないことだけははっきりとしている。

 

今を大切にしよう。

これからの未来をつくっていこう。

家族みんながそれぞれで。